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5 May 2020
ナイチンゲール生誕200年

「看護覚え書(Note on Nursing)」という本をご存知でしょうか。

これは19世紀の英国の看護師、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale 1820-1910 90歳没)が1860年に書いた看護の教本です。この本は当時、看護師を目指す人だけではなく、主婦たちのバイブルとされて世界的大ベストセラーになりました。そして160年たった現代でもなお看護思想の原点となっており、日本では多くの看護学校で必修書として扱われ、看護従事者にとって困った時や、悩んだ時に戻るべき本となっているそうです。

 

今年、2020年はフローレンス・ナイチンゲールの生誕200年の記念の年です。

 

「クリミアの天使」、「ランプの貴婦人」などと呼ばれ、戦場に赴き兵士の看護をした勇敢な女性として知られているナイチンゲールですが、意外にも彼女が看護師として活躍したのはわずか3年、その後はほとんど寝たきりの生活だったと言います。一生の大半をベッドで過ごした彼女がなぜ、今なお人々の心に残っているのでしょうか。

彼女の様々な顔について少しご紹介します。

 

① 看護師

1820年5月12日に裕福な地主貴族層の家族にナイチンゲールは生まれました。奉仕活動を通して看護の分野に興味を持ち、その道を志す決意をします。それを聞いて家族は大反対をしますが、反対を押し切り念願であった看護の基礎を学ぶためドイツ留学の機会を得た後、ロンドン市内にある病院での勤務を経て、1854年に当時の戦時大臣シドニー・ハーバートからの要請を受け看護師としてクリミア戦争に赴きます。

野戦病院にて24時間不眠不休で働く中で、物資不足と劣悪な衛生環境が兵士達の死亡率を上げていることを目の当たりにし、院内改革に着手します。

まず、自費で洗濯室や台所を設立しました。そして、衣類やシーツなどの寝具を清潔にすることを指導し、また、トイレを衛生的に保つよう指示を出すなどの抜本的な病院運営改革を行いました。

また、ハーバード大臣に物資の要請と物品配給に関するシステムを変える要請の手紙を書いたり、タイムズ紙上で基金も募りました。

そうした改革の結果、半年後には負傷兵の死亡率を75%から5.2%と大幅に下げることができました。

ランプを手に夜通し院内を巡回したナイチンゲールを見て、兵士たちは親しみを込めて「ランプの貴婦人」、「クリミアの天使」と呼びました。

 

② 看護及び看護教育システムの構築者

当時、病院は身分の低い人が行く場所であり、また看護師も身分の低い人の職業と捉えられていました。

しかしながら、ナイチンゲールは看護の専門職業としての自立、知識体系を確立することを追及し続け、ついに1860年に史上初の宗教に影響のない組織的な看護専門教育を受けられる学校として、「ナイチンゲール看護学校」を聖トーマス病院内に創設しました。医学と看護は対等の立場にあり、両者は車の両輪関係にあると主張し、看護を「知識を有する専門的な職業」と位置づけて系統的に学ぶことの訓練を徹底的に行いました。

 

③ 作家

前述の「看護覚え書」をはじめ、ナイチンゲールは生涯に150以上の著書を執筆しました。ほとんどが看護についてのものですが、中には宗教、哲学、社会学、統計、衛生、植民地の福祉、インドなどについての著書もあったそうです。

 

④ 統計学者

幼少期に父親から習ったことがきっかけで数学や統計の知識があったナイチンゲールは、クリミアから帰還後、野戦病院での死亡率を図表で示し、最も多い死因は怪我によるものではなくコレラやチフス、赤痢などの感染症であるとし、病院の感染症予防の重要性を訴えました。また、国内の病院の状況に関する統計も集めて図表化し、報告書を作成して政治家や医療専門家に説明を行いました。

これらの図表は「ナイチンゲールのバッツ・ウィング(こうもりの翼)」と呼ばれ、棒グラフや円グラフが一般的でなかった時代に視覚に訴えることができる最先端の技術だったと言われています。彼女の持つ統計学的分析力が、結果として彼女自身の仕事を推進させる大きな力となりました。

1858年に英国王立統計学会の初の女性会員にも抜擢され、英国では統計学の先駆者とも言われています。

 

⑤ 病院建築家

病院は病人の詰め込み、また、建築構造そのものの欠陥により死亡率を上昇させていることに心を痛めていたナイチンゲールは一から病院の建設に取り組みます。そして、1871年に聖トーマス病院のナイチンゲール病棟が完成しました。彼女が推奨した「パビリオンスタイル」と呼ばれる病院構造は20〜30人の患者をひとつの看護単位とし、いわゆるワンルームの大部屋で、病室中央付近にナースステーションが置かれ、看護師が効率的に患者ケアを行えるように工夫されていました。

この病棟スタイルは世界各国で採用され、ナイチンゲールの病院建築家としての名が広く知られることになりました。

 

そのほか、ナイチンゲールには衛生改革者、社会改革者など更に多くの顔があることも知られていますが、その一つ一つの考え方はどれも時代をはるか先行くものでした。

看護を軸に真摯に、ぶれることなく人生をかけて目標に向かって歩き続けたからこそ、後世の私たちの心に残っているのではないでしょうか。

 

世界保健機構(WHO)はナイチンゲール生誕200年に当たる本年を「国際看護師・助産師年(Year of the Nurse and the Midwife)」と制定しました。看護職の果たしている役割をもっと評価し、世界的なキャンペーン「Nursing Now」などを通して関心を高めていこうというのがこの「国際看護師・助産師年」の趣旨となっていますが、折しも今年に入り世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に対応できるように、急遽イングランド7カ所に設営された大規模臨時病院が一括してNHSナイチンゲール病院と名付けられたのも、クリミア戦争の野戦病院での経験から看護学を確立したナイチンゲールの生き方・教えを称え今に伝わるものです。英国全土の病院で自らの命を感染の危険に晒しながら最前線で闘っている看護師たちの姿を日々目の当たりにして、看護師がいかに重要で必要不可欠な職業であるかを痛切に感じています。

 

テムズ川を挟んでウエストミンスター宮殿の対岸にある聖トーマス病院内にはフローレンス・ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum)があります。彼女の私物や、クリミア戦争で使用していたというランプ、当時の医療・看護用機器、ナイチンゲール本人の肉声も聞くこともできるそうです。

生誕200年を記念して特別展を予定しておりましたが残念ながら当面の間休館しております。

しかしながら、ウェブサイトでは特別展の展示物を見ることができますのでぜひご覧になってみてください。

www.florence-nightingale.co.uk/200objects/

また、‘Stay home’ のこの機会にぜひ「看護覚え書」を読んでみるのはいかがでしょうか。

 

世界中でCOVID-19と闘っている全ての医療従事者を始めとしたキーワーカーの方々、ボランティアの方々に心から敬意を表します。