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ダイアナ妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)没後20年を迎えて
1997年8月31日、あの夜の衝撃は今でも鮮明に覚えている。夜中にテレビを見ながら長男の幼稚園の新学期に備えて、カバンに名前を縫い付けていた。すると画面の下にニュース速報で、「パリで、ダイアナ妃の乗っていた車が事故を起し救急病院に運ばれ重態の模様」と出てきた。心臓がバクバクして、いてもたってもいられなかった。「彼女が助かりますように」と心の中で祈ったが、それも空しく、彼女は36才の短い生涯を閉じた。15才と12才のまだ幼い二人の王子、ウィリアムとハリーを残して。
それから20年が過ぎ、二人の王子は、母ダイアナへの思いを込めた記録映画「Diana, Our Mother」を世に出した。この中で二人はダイアナを「世界で最高の母親だった」と話している。ダイアナは、二人の王子を育てるにあたって、義務と伝統を重んじることに加え、むしろ温情や人々との共感を尊ぶ心の教育に重きを置き、これらを自ら実践している姿を彼らに見せた。それがチャリティ活動であり、特にエイズ、地雷除去、ハンセン病、ホームレス、癌に対する諸問題への取り組みには熱心だった。彼女の活動は弱者との直接のふれあいを大事にした方法でそれまでの王室のやり方と異なっており、エイズ患者や、地雷により足を失った若者を抱擁している姿の写真は有名だ。ウィリアムとハリーも、母の志を引き継ぎ、それぞれの方法でチャリティ活動に勤しんでいる。ハリーは地雷除去の運動に携わり10年経ち、またエイズ問題への関心も高い。ウィリアムはホームレスセンターの住人達と和気藹々と会話し、また子供の頃に親をなくした子供達との共感を重視している。
ダイアナ妃が亡くなったことを受け、国中が悲しみに打ちひしがれた。バッキンガム宮殿や、ケンジントン宮殿の門前は連日弔問に来る国民の献花で一杯に埋め尽くされた。当時の首相トニー・ブレアは、弔辞の中で「ピープルズ・プリンセス」という言葉を使って彼女を形容しつつ、「ダイアナ妃はこれからも永遠に我々の心と記憶にとどまり続けるでしょう」と語った。それは、彼女が愛する幼い子供達を二人残して先立った悲惨さに心が痛んだこと故ではなく、国民みなが、率直で心の開けたダイアナ妃の性格を愛していたからだ。20年経った今、二人の王子、ウィリアムとハリーを通して、人々は再びダイアナに思いをはせる。
19才の若さで彗星のごとく英国王室に現れ、セント・ポール寺院で全世界の注目の中、プリンセスとなったレイディ・ダイアナ・スペンサー。おとぎ話の世界のように「そして、二人は末永く幸せに暮らしました」とはならなかったが、二人の息子と人々の思いの中で、彼女はレガシーになった。
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