現在まで

(1997〜2015年)


1980年代後半から日本経済はいわゆるバブル期に入り、ロンドンの中心地、ピカデリー周辺には日本の有名デパートが次々と支店を出し始め、日本の企業進出が目覚ましくなり、婦人会の会員数も年々増加していきました。例会も広い領域にわたる興味深い講演会や、オリエンタル・エクスプレスによる日帰り旅行などを含むアウティングなど、活発な活動の中で迎えた40周年記念でした。


バザー活動の成功は一層の規模拡大に繋がり、担当者ばかりでなく一般会員にも大きい負担とストレスになりはじめました。先ず縮小を試み、1994年には一般市民にも開かれたバザーは取り止め、例会時に一坪ショップを試みることになりました。その後、大きい災害が世界のどこかで起こった時には、 運営委員会の適切な判断で支援目的のチャリティ・コンサートを開いたこともありました。


新しいミレニアムの始まりを前にして、1995年には阪神大震災が起り、2001年にはアメリカでは9/11テロ事件が発生して、自然界も人間社会も厳しい試練に曝されることが多くなりました。中近東では紛争が絶え間なく、世界的金融危機もあって世界経済は思わしくなくなり、ロンドンの日本企業の駐在員も減少し始め、婦人会の会員数も大幅に減少してきました。企業がらみのセクション制で始まった会ですが、その制度での運営委員選出などに問題もあって運営方針を根本的に見直すことになりました。


2004年2月には「婦人会の未来を考える小委員会」を発足、翌年の1月までに17回の会合を開いて討議をした結果、セクション制の廃止に踏み切りました。自分の意志で入会した会員達は、会の発展に自発的に参加するという基本方針に則り、運営委員選出は会員の自薦他薦となりました。 自主的に会員間の交流を図るために、種々なグループ活動も立ち上げました。その頃から会員数は100名前後になり、現在に至っています。


2006年10月には、日本近代史研究家ニッシュ名誉教授(ロンドン大)の講演「英国日本婦人会と創立当時のロンドン」およびゲストを招いた懇親会で50周年を祝いました。その後、創設者の一人西富貴子氏の逸話を中心に当時のことを話された教授の講演および40周年以後の簡略な婦人会の歴史を、美しい色刷りの小冊子にまとめて記念出版しました。


セクションがなくなり規模も小さくなったことで会則を見直す必要が生じ、現状に適した会則に改訂するべく2008年10月に「会則改定小委員会」を発足しました。4ヶ月かけて11回の会合で新会則(案)を作成し、2009年3月の年次総会で会員の評決の結果,採択が決まりました。


2011年3月11日,突如東北地方を襲った大地震と大津波は世界中の人々に大きなショックを与えました。 何の予報もなく起こる巨大な自然災害の悲惨な状況を画像で見て、世界中から支援の手が差し伸べられました。婦人会も即刻,災害者支援の募金を会員ばかりでなく会員以外からもご協力頂き、日本赤十字社に収めました。3ヶ月後の6月11日には、日本大使館や日英の企業のご支援を受けて英国日本婦人会主催の大きいバザーを行い、集まった多額の募金は被災地の子ども達のためにという趣旨で Save the Children Japan に送りました。


2014年には再び「会則改定小委員会」を発足し、3回の会合で一部を改訂した案が年次総会で採択されました。この改訂で導入したチャリティ基金制度により、直後に続いて発生したアジアの自然災害の被災者(南太平洋のサイクロンおよびネパールの大地震)に支援金を即刻送ることが出来ました。


一時は会員がグループ活動を通じて交流するアイデアを試みましたが、グループを立ち上げたリーダーの帰国後に後継者がないため解散になる場合が多くなり、残念なことに自然消滅になってしまいました。しかし歴代の運営委員会が会員の入れ替わりの激しいこの会の現状に応じて努力を重ねてきたことが実を結び、2016年には日本流にいえば「還暦」、イギリス流ならば「ダイアモンド・ジュベリー」を迎えます。その記念事業の企画をする「プロジェクト60小委員会」が2013年5月に発足しました。満場一致で選ばれた主たる記念事業は 今ご覧頂いているウエブサイト作成 です。過去・現在・将来の婦人会の会員の皆様、楽しくご覧下さい。