中期

(1979〜1996年)


ロンドンの在留邦人は増加してきていましたが,20周年頃までは婦人会の会員数は大体150名を保ち続けていました。例会場がYWCAに戻り、日本人学校がカムデンに出来た70年代の終わりには、日本人社会にも大きい変化が見られるようになりました。日本食品を販売する店も増え、日本のデパートもロンドン中心部に進出してきました。また日本の工業製品がイギリスにどんどん輸出され始めたので、当然のことながら製造業関係の企業の進出が目覚ましくなり、駐在員家族も従来の6セクションではおさまらなくなりました。1980年には該当セクションのない会員のために7番目のセクション「第7セクション」を設けました。その頃から会員数も急増し始め80年代後半には400名を越す盛況でした。


創設以来,バザーは婦人会の大切な活動の一つでしたが、開催場所の関係もあって会員外の方々にも開かれたバザーを行うことは容易ではありませんでした。カムデンに出来た日本人学校がバザーの会場を提供して下さることになって、80年代には大きいバザーを開くことが出来、日本人ばかりでない大勢の方が訪れて下さり1000人を超す大盛況ぶり。日本人学校がその後、一層大きいアクトン校舎に移転してからはバザーのスケールはより大きくなりました。


会員手作りの手芸品、お寿司やお菓子などの食品は大好評でした。また会員を通じて企業からの出品もありましたし、帰国の際に残して行かれる日本からのお土産類、日本語の本、いろいろな中古品もありました。運営委員はそれ等を仕分け、値付け、当日の販売などで、目の回るような忙しい日々を経験しましたが、おかげで婦人会は日英両国のチャリティー団体支援、世界規模での災害見舞金を寄付することが出来ただけでなく、婦人会の資金面での基盤を作ることが出来ました。


会員も増加し、活動も活発になり、財政的基盤も固まりましたが、会の運営を維持し続けることに関しては問題がありました。主として駐在員家庭が会員でしたから会員の入退会が極めて頻繁で、かつ会則では運営委員会の任期は一年となっていたため、毎年経験者のいない新委員会が手探りで新年度をはじめるという有様で、会の運営の継続性が常に問題になるのは致し方のないことでした。その解決のため80年には 運営委員経験者などを中心とした顧問会を設け、運営委員会をバックアップすることになりました。


当時は海外渡航がだんだん自由化され始めた頃で、旅行者用のガイドブックはいろいろ出版されていましたが、居住者のための生活の手引書は皆無に近いことが顧問会で話題になり、それなら婦人会で会員の経験を基にして作ろうということになった次第です。 出版小委員会を発足させて1982年の春から夏にかけて 手分けして情報を集め、一同で検討して編集し、11月には「ロンドン暮らしのハンドブック」の初版を刊行することが出来ました。各担当者の手書き原稿のゼロックス・コピーをホッチキスで留めた価格も手頃な小冊子は、大勢の方が購入して利用して下さいました。その後も情報の変化に応じて改訂を繰り返し、刊行を続けています。


大型バザーによる収入やハンドブック売り上げ収入など,収入が増加すると婦人会の収入が法人税の対象になるのでないかという懸念が出て来ました。と同時に、婦人会を正式のテャリティ団体として登録出来ないかということで、1985年度の運営委員会はチャリティ登録のための小委員会が発足しました。専門の弁護士を招いて私たちもイギリスのチャリティについて勉強しながら13回の会合を経て、1986年3月に「教育振興」を目的とするチャリティー団体「英国日本婦人会」として登録を済ませました。


1996年に創設40周年を迎えるにあたり、95年7月に会の歴史を記録する小冊子「40年のあゆみ」の出版を企画しました。刊行のための小委員会が発足して企画編集し、帰国された元名誉会長や会員の皆様もご協力下さり、96年10月に刊行されました。婦人会の大変貴重な記録として、今後とも会員の皆様に読んでいただくことを願っています。